ものがたり『バガヴァッド・ギーター』第30話:行為の放棄とは(1)
これらの話を聞いて、
アルジュナは、
さらに疑問を持ちました。
「クリシュナよ。
最初には、
あなたは行為をやめよと
おっしゃいましたが、
次には、
結果に執着することなく、
至上主に行為を捧げよ
と勧めました。
どちらの方がより良いことなのか、
はっきりとお示しください。」
至上主クリシュナが
その疑問に答えました。
「『行為の放棄』も
『行為の結果を
バガヴァーン(クリシュナ)に捧げる
偽の自我がないの行為』も
両方すばらしく、
魂を解放へみちびく。
だが、この 2 つを比べるなら
後者(ニシュカーマ・カルマ・ヨーガ)の方が
勝っている。
アルジュナよ。
何ものにも愛着も嫌悪も抱かぬ人は、
常に欲がなく放棄をしている人だ。
その人は、あらゆる二元相対性
(善悪や好き嫌い)を超えているので
この世の束縛の鎖を
かんたんに断って
完全な魂の自由を得る。
愚かな者は、
行為の放棄と
行為の結果を主に捧げて
偽の自我がない気持ちで
クリシュナを崇拝すること
(ニシュカーマ・カルマ・ヨーガ)
とは別なものと考える。
だが、一方の道を究めた人は、
『物質的束縛から自由になる』という
両方の成果を得る。
このように放棄の行動を通じて
あるいは
分析研究の知識を通じて
至る境地は、
ニシュカーマ・カルマ・ヨーガ
(行為の結果を至上主に捧げること)
によっても達する。
だからこの2つ(放棄と分析研究)が同じと見る人は、
ものごとの真実をみる賢者である。」
…続きはまた明日。
(今日は5章1-5節まででした)
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