アーチャーリャ(ヨーガの実践者)の生き方(BG 3章21-22節)
「何事によらず、
偉人の行ったことを、
人々はまねるものだ。
上に立つ者が模範を示せば、
世界中の人々はそれに従う。
プリターの息子よ、
私は三界で、
しなければならない義務は何もない。何一つ不足なく、
何一つ得る必要もない。
それでもなお、
私は義務を遂行している。」
(『バガヴァッド・ギーター』3章21-22節)
ヴェーダから人生カラクリとカルマを知り
愛に生きるお手伝いラーデーラーデーです。
私たちはまだまだ人生勉強中で、
どんなに学んでも、悟ったと感じても
キリのない様に感じるもの。
私はすぐに結果が欲しくなるので
時間がかかるからね
とよく師匠方に言われます。
聖地ブリンダーヴァナに行って驚くのは
偉大な聖者こそ
神の様な荘厳さよりも
本当に普通の、
いや普通の方以上に優しく愛情深く
人間臭くいらっしゃることです。
その理由が、この節に
現れていると感じています。
本当は何1つこの世界で
なさるカルマも義務もないのに、
私たち生き方を示すために
普通の人間の様に振る舞われている。
私たちには義務がある。
でも大事なのは、
その義務なんのためにするのか、
という意識であると
師匠は教えてくださいます。
なんと慈悲深いことか。
すべてはいただきもので
私たちはただそれを愛情(慈悲)として受け入れ
彼女の存在を感じながら応えていく。
そうすれば
義務が義務でなくなり
愛情奉仕に昇華していけるのだと思います。
愛するマントラとみなさまと共に
いつも生きられます様に。
ラーデーラーデー
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