第116話:ヤマラ・アルジュナの木の救出(5):ものがたり『シュリーマド・バーガヴァタム』
無神論者の嘘つきでならず者は
富を非常に誇り、
あるがままに物事を見ることができません。
ゆえに、貧乏に戻ることは、
本来の姿にもどる目薬となるので、
彼らはあるがままに物事を見られるかもしれません。
少なくとも、
貧乏に苛まれた人は
貧しさがいかに痛々しいかを実感できるので
彼らが自分のような痛ましい状況に
他の人がなることを望まないでしょう。
その顔を見れば、
針で刺されてその体がチクチク痛い人は、
同ようにチクチクする他の人の痛みが分かるものです。
この痛みは
すべての人にとって同じであることを実感することで、
彼は他の人を同じように痛めたい
とは思わなくなります。
しかし、
針でチクチク刺されたことのない人には、
この痛みは分かりません。
貧しく苦しむ人は
自然と禁欲と償いを経験します。
なぜなら、
何かを手に入れるための富を
持っていないからです。
だから彼の偽の名声は消えます。
常に食事、住居、衣服を必要とし、
神の慈悲で手に入る物で
必ず満足する。
そのような強制的な禁欲は
その人にとって良いことです。
なぜなら、
これがその人を浄化し
完全に偽の自我から自由にするからです。
…つづく
(10巻10章13-15節)
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