世界は何にためにあるの?
インドのヴェーダから人生のカラクリとカルマを知り、愛に生きるお手伝い ラーデーラーデーです。
今日からは、世界の仕組みについて書かれた「バガヴァッドギーター」の節をご紹介していきます。
誰もが、一度は、
「私は何者なのか」
「世界は何のためにあるのか」
という疑問をお持ちになったことがあるのでは、ないでしょうか。
私はずっと持ち、
その答えを今少しずつ、
師匠らの慈悲により、
見出そうとしているところです。
答えは1つではなく、
お一人お一人の中にあるのだと思いますが、
インドに伝わる「バガヴァッド・ギーター」には、
そのことも明言されています。
「アルジュナ言う。
ケーシャヴァ(クリシュナ)よ。私は、物質自然(プラクリティ)と享楽者(プルシャ)について、活動の場(クシェートラ)とその認識者(クシェートラ・ギャー)について、
知識(ギャーナ)と知識の対象(ギェーヤ)について理解したいのです。」
「至上者語る。
クンティーの息子よ。
この肉体が活動の場であり、この肉体を知覚認識している者が、活動の場の認識者である。」
(13章1-2節)
私たちは、世界に楽しまれていて、運命はその手の中にある。
この肉体は、その楽しむものが楽しむために与えられたもので、私たち自身ではない。
日々が、時間と運命で流れ、私たちは魂として、その船に乗るようなもの。
そう思うと、すべてを手放し、委ね、気持ちが穏やかになる気がします。
世界は、私のためにあるのではない。
そのことを教えていただける、優しい節だと思います。
ラーデーラーデー
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