ヴェーダは師が重要
インドのヴェーダから人生のカラクリとカルマを知り、愛に生きるお手伝いいのラーデーラーデーです。
毎日少しでも、インドのヨーガ教典「バガヴァッド・ギーター」を読むことで、ハートが浄化されるそうです。
最近はアーユルヴェーダやヨーガを学んでいる、または名前を聞いたことがある、という方が増えて来たように思います。
では、なぜヴェーダを学ぶとよいのか?
今日は、ヴェーダを学ぶということについて、書かれている節を「バガヴァッド・ギーター」からご紹介します。
「至上者語る。
根は上に、枝は下に伸び、
その葉の一つひとつが
ヴェーダの讃歌
(利得を求め天界に昇る道を説く)
である、
不滅のアシュワッタ
不滅のアシュワッタ
(バニヤン)樹があるという。
この樹を知る者は全ヴェーダを知る。」
この樹を知る者は全ヴェーダを知る。」
おお、それはすごいです。
更に、こう続きます。
「この物質界の木の上下に拡がる枝は(上は神々、下は動物などを指し)、
物質自然の三性質に養われている。
物質自然の三性質に養われている。
無数の小枝は感覚の対象物であり、
根は感覚を楽しみたい
という欲望であり、
人間社会の
行為とその反動の連鎖に
行為とその反動の連鎖に
人を縛り付ける。」
あれ、木々の枝は結局感覚満足、輪廻転成に結びつけてしまう?
「この世界に住む者には、
この(物質存在の)樹の姿
が見えず、
始まりも終わりも
始まりも終わりも
根ざすところもすべてわからない。
だが、人は一大決心をして、
だが、人は一大決心をして、
無執着の剣を振り上げ、
この頑強な根を持つ樹を
この頑強な根を持つ樹を
切り倒すべきである。」
(14章1-3節)
これを読むと、結局この樹(全ヴェーダ)は、
物質的な幸福や宇宙の仕組み
を知るためにある。
ですが、
肉体はいつか死んで終わってしまうので、
それでは究極的な不安を拭えない。
だから、
一念発起して、
一時的な幸せを求める樹を切り
本当に必要なビジョンを得た方がいいですよ、
とシュリー・クリシュナは、
親友アルジュナに、そして
今これを読む私たちに
語りかけてくださっているのだと思います。
そして、その樹全体を知るためには、
その樹の中で生きる意識から抜けた、
聖者であり師について
学ぶ必要があると
気付かされます。
ラーデーラーデー
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