私たちは生かされている(幸福とは?)

ヴェーダから
人生のカラクリとカルマを知り、
愛に生きるお手伝いの
ラーデーラーデーです。

バクティヨーガを
学ばせていただく様になり、
沢山の気づきや変化をいただいています。

初めは、
本の中、頭の中だけで
世の中を理解しようとしてヴェーダを
勉強し始めたのですが、
どうやらそんなに甘いものではなく。

実生活も本当に変わりますし
その生活の中で
しんどいことも
いっぱい起きるのですが

その後に、
「ああ、こういう学び(浄化・真理)を下さったんだ!」

ということが本当に本当に起きます。

よく師から、実践しないとわからないよ、と言われ続けているのですが、
本当にその通りだな、と思います。

とはいえ、先日、少しお疲れな気分になり
「なんでこんなに
しんどい思いを
しなきゃいけないのかしら」
と思っていたところ、
「バガヴァッド・ギーター」の
この節が目に留まりました。

「はじめは毒のようでも、
しまいには甘露となるような
自己と純粋な知性から
生み出される幸福は
徳性の幸福である。

はじめは甘露のようでも、
しまいには毒となるような、
感覚と感覚の対象との接触
によって生み出される幸福は、
激性の幸福である。 

始めから終りまで、
魂の性質について幻想に包まれ、
睡眠や怠惰、
陶酔から生じる幸福は、
無知性の幸福である。 」
(18章37-39節)

はじめは甘露、
がやっぱり嬉しいのですが、
それは自分が慣れ親しんだこと
だからこそ。

1つ1つ目の前に起こる状況は
ただ過ぎていきながらも
意識が違えば、
与えられるものも
受け取るものも変わる。

そんなことを今も気付かされます。

色々ありますが、毎日、結局しあわせです。

ラーデーラーデー

ヴェーダ占星術のラーデー・ラーデー

私たちは、聖地ヴリンダーヴァンから流れる由緒明確なヴェーダの叡智を日本に伝え、「人生のカラクリとカルマを知り、愛に生きるお手伝い」をしています。

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